Blog,  坂村真民先生との妙縁録

坂村真民との妙縁(8)空円光

何としてもの執念で、古い資料(断捨離を免れるた)をひっくり返している内に、遂に目当ての資料を探り当てた。

消息不明の方だけに、
嬉しくて当時のことを思い出し、
若き日の感慨に胸迫るものを感じながら、
ノスタルジーに浸った。

美しいものを美しいと
感じる心が美しい


これは、
ロマンの人、
角さんから頂いた
珠玉の言霊である。

今尚、
いや歳を重ねる度に、
益々光彩を放つようになってきている。

この美感力が、
自然と疎遠になっているため、
現代人にはすこぶる
衰微しているように思えてならない。

それはさておき、
先ずは「LMP実践記録」(上記添付)。
日付けが記入されていないが、
1985年頃だと思う。

少し歳上と前回書いたが、
正確には13歳上の先輩であった。

思い返せば、
角さんは、
当時、ロマンとは裏腹に、
50代のバリバリの営業マンだったのだ。

二人のご子息、
ご息女は、
現在60代だから、
どこかに居られる筈だ。  

さて、
信条に「今」
の一字だけとは何とも潔い。

道元禅に勤しんでおられただけのことはある。  

もう一件、
よくも出てきた
1989年の読売夕刊の
「人抄」。
これで、前回紹介した内容を、
改めて納得して頂けると思う。
親しげに先生の手に触れ、
肩に手を回すなど、
私は一度もできなかった。
親密度が伺えるものだ。

それと若々しい角さん
(54歳)の満面の笑みは、
あらゆる面で絶好調であったことを
物語っている。  


記事には、
「勤務先のオーナー社長の縁で坂村さんを知った」とあるが、
その社長はきっと人徳者であったに違いない。

確かこの時には、
茨木インター近くの
マルカキカイ(株)に転職されていたと思う。
オーナー社長とはその会社のことだろう。
 

記事の最後に「生涯かけて巡拝します」
とあるが、
出版時は121基、
それから最終までは737基、
どこまで巡り終わられたのかは、
気になるところだ。  

いずれにしても、
やっとこれで気になっていたことの
溜飲を下げることが出来、
ほっとしている。