Blog, 坂村真民先生との妙縁録 坂村真民と妙縁録(6) 空円光 「一瞬の出会いで人生が決まり、 一つの言葉で運命が変わる」この言葉は、講演の冒頭、常に提唱し続けて来たものだ。私の体験から滲み出た実感である。人持ち人生の根底にある私の信念でもある。そこから、「妙縁感謝 放下合掌」という私独自の秘めた感謝の言霊も生まれた。 ところで、因縁という言葉がある通り、坂村真民先生との妙縁にも、必要、必然、最善とも言える因がある。 38歳で先生に初めてお出会いする機会を作って下さったのが、角晌さんだった。私より少し年上の方だった。角さんとの出会いは、私が30代後半、JC(青年会議所)を中心に、様々な勉強会や異業種交流に狂奔していた頃のことになる。 その中でも、LMP(Life management program)には足繁く通った。その会で角さんと同じグループになり、馬があったのか急速に親交を深めることになった。角さんは北大出身。交友も広く、自然と文学好きのロマン派であった。教養もあり品性も高かったから、私の憧れの的でもあった。ある時、その角さんから、私の志に最適の人がいるからということで、坂村真民先生を紹介された。持ち前の「感即動」で、その後直ぐ先生宅を伺った。角さんの紹介ということで、快く歓迎して下さった。その時(38歳)の宿命的な出会いの写真は、事あるごとに眺め、「初心忘るべからず」の戒めとしている。 ところで、角さんの紹介で難なく先生に出会えたのには、決定的理由がある。それが「真民碑紀行」、はまのいもた(角さんは鳥取出身)ハガキ通信である。休暇の殆どを利用して、全国の真民碑を訪ね、その訪問記をまとめたものだ。真民碑イコール坂村真民に惚れ込んだ、角さんの一大抒情詩とも言える内容が、先生の心を感動させたことは言うまでもない。その角さんのお陰で、先生との初邂逅が、見事に実現したのである。 このハガキ通信は、「真民碑紀行」(角晌著)として、大東出版社(現在は絶版、アマゾンで購入可)から出版された。勿論、先生の講演付出版記念パーティーも、盛大に行われた。 本の帯には次の言葉が書かれてある。「一つの碑に一つの生命あり。人々の心に仏の花を咲かせる真民碑。人々の心に明日への力を与える真民碑。今やインド、ハワイにも建立され、その気運は全世界に及んでいる。著者の文学性豊かな紀行文にのせておくる「念ずれば花ひらく」碑のすべて」 しかし、今になって残念至極なのは、人生の大恩人を紹介して貰ったその角さんと、ある時期から音信不通になり、消息も不明になったことだ。愛別離苦のご温情しきりである。 角(すみ)姓は余りない名前なので、心当たりのある方は、是非連絡して頂ければ幸いである。