Blog, 坂村真民先生との妙縁録 坂村真民との妙縁録(3)空円光 坂村真民全詩集には、まだま村に関する詩が3遍収録されている。光栄の極みだ。その一つが、上記の写真の「真民堂」である。今まで一度も公開しなかったから、初耳だと思う。今回総括の意味で、あからさまにすることにした。 そもそも、こんなものが存在すること自体、真民先生らしくないとお叱りを受けるかも知れない。しかし、「真民堂」の揮毫は見ての通り先生の真筆であり、右下には、先生の朱色の落款まで入っている。正真正銘の本物である。 このことは、私の信念となっている次の二つの言葉の大きな証しでもある。「誠は感動を呼び奇跡を招く」 松本明重 「念ずれば花ひらく」この経緯を遡れば、38歳の時の真民先生との初対面に始まる。その時、何故か直感で、運命的な強い絆の予感が、まるで電流のように全身を走ったのを覚えている。 その念(おもい)が、まだま精舎(まだま村のシンボル)を建てる時の設計段階で、具体化したのである。先生の承諾もなく、先生用の特別宿泊室「真民堂」を、別棟の二階に創ることにしたのである。真民堂は、単純に先生の御自宅、「たんぽぽ堂」にあやかった。 ところで、真民堂の設計はこりに凝った。先生に気に入ってもらう為、茶室風のしつらえにこだわった。見ての通り、入り口も無理を言ってアールにして貰った。違棚の引き戸には江戸時代の模様を使った。中でも、一番趣向を凝らしたのは、写真では見えないが、全面煤竹(ススダケ)編みの天井だ。 やがてまだま精舎と別棟が完成した。そして遂に、まだま村オープンから3ヶ月後、「一万人による念ずれば花ひらく碑」のノミ入れ式に、約80人の参加者を交えて、真民先生をお迎えすることになった。 その夜が最初の宿泊。夕食の後、恐る恐る欅の古材の板を先生に差し出して、「真民堂」の揮毫をお願いした。すると、意外や意外、何の抵抗もないどころか、好意的にぶっつけ本番でサラリと揮毫して下さった。今だから、拍子抜けしたと言えるが、その時は正直、断られたらどうしようとそればかりでドキドキしていた。 この時の「信」の堅い絆が、その後の私の人生を色鮮やかに彩ることになったのである。<真民堂 坂村真民>竹林の中にある 真民堂 竹が語りかけ 竹がいろいろ教えてくれる 真民堂 素直で柔軟でいつも風と遊ぶ空即是色の 竹たちそんな竹たちに囲まれた 閑かな古代造りの 真民堂このご恩忘れるなと鳥たちが鳴く真民堂