Blog,  坂村真民先生との妙縁録

坂村真民先生との妙縁録(1)

2004年(平成16年)、
真民先生95歳(97歳帰天)、空円光(立花之則)57歳。
両者にとって記念すべき年となった。

先生は2月、「詩国」500号(41年8ヶ月間休み無し)を発刊し、終刊となる。
同じ月に、「詩国発刊500号記念全国朴の大会」が、愛媛県民文化会館で開催される。

式典中、先生の突然の指名で、挨拶をさせて頂く光栄に預かった。

これからは、私の事になるが、
11月に「書は心」の改訂新版(初版平成3年) を、
富士印刷のご好意で出版して頂いた。

そのお礼に、
石川社長が総代をしている地元の八幡神社で、
「坂村真民の魂」と題して講演をさせて頂いた。  

講演後は、講演に参加したまほろばくらぶ奈良のメンバーと、
近くの旅館に宿泊した。

翌日、折角だからと、
先生の書がふんだんに飾られている「開花亭」で、皆と昼食を取った。

団欒をしている内に、
本近く(開花亭から車で5分)の、
先生のご自宅、
タンポポ堂をアポなして訪問してみようということになった。

 当時、先生は乾皮症で体調が優れないと聞いていたから、恐らくお会いするのは無理かと思われた。  

しかし、ダメ元で私が電話を掛けてみた。
運良く、三女の真美子さんが応答に出て下さった。

「父は今入浴中なので、風呂から上がったら又連絡します」。
全員固唾を飲んで返事を待った。  

暫くして携帯電話が鳴った。

「父がお待ちしています、とのことです」

まさかの僥倖に全員大喜びした。  
写真(上記添付)でもお解りのように、
風呂上がりもあって、体調がすこぶる良かったのか、始終上機嫌で応対して頂いた。

 信じられない事だが、
床の間のある寝室まで上がらせて貰った。

肥後モッコスの先生には、まずあり得ないことだ。
今思えば、そこまでして頂けたのは、
先生の中に
「これが最後」の念(おもい)があったからに違いない。

実際、これが永訣の別れとなった。  

それにつけても、返す返すも悔やみ切れないのは、帰り間際の、先生の最後の言葉

「二階へ上がらんかねぇ」。

一瞬上がりたいと思ったが、
まほろばくらぶのメンバーと一緒だったから、
自分だけ上がるわけにもいかないと思い、
やむなく失礼することになった。  

若い頃から、先生宅へは何度か訪問したことはあったが、二階の聖なる書斎には、一度も上がらせて貰えなかった。

下記添付の写真でイメージを膨らませて欲しい。
読経三昧、詩作三昧、坐禅三昧、書三昧の部屋。

それだけではない。
観音菩薩や仏足石や石笛など垂涎の的となる秘宝が、所狭しと陳列されている部屋。

この部屋に入るだけで、
きっと霊気に圧倒されてしまったことだろう。

しかし、あり得ない事に、その先生の書斎は、
タンポポ堂と同時にすっかり壊され、今は跡形も無い。

込み上げて来る寂寥感に、
ただ一人咽び泣きしたいくらいである。