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「詩国」創刊号と最終号 by 空円光

信じられない!奇跡だ!ZPFのなせる技だ。
何故このタイミングでとも思う。下記の二つがポロリと出て来たのだ。

嬉しくて、しばらく喜悦に浸った。  
創刊号(別添付)は、眺めるだけで、何かしら霊波のようなものを感じる。
皆さんも初めてだと思うが、愛弟子を自認する私でさえ、創刊時の先生の決心と覚悟を彷彿させる内容に、思わず身震いしてしまった。

1962年(昭和三十七年)先生53歳。 「詩国」発刊の天啓を聴いたのが3月。
その後6月に森晋三先生と運命的な出会いをする。

「発刊のことば」で次のように述べている。
「森晋三先生にお会いし、一大教示をいただいてやっと腹がすわった。
先生から徹底的にわたしにつきまとう観念の衣を剥ぎとっていただいたからである。」  

ご存知の通り、詩国発刊は、詩国賦算のスタートであもあった。
これは、先生の人生の師でもあった、捨聖一遍上人の賦算(念仏札配り)を受け継ぐものだった。
上人は、「南無阿弥陀決定往生六十万人」の小さな札を、25万1742人まで配って亡くなった。そこで真民先生は、残り34万8276人に詩国を配って、上人の願いの満願を叶えようとしたのである。

そして結果、それを見事に達成した。
2000年2月で500号(最終号写真添付)41年9ヶ月。真民先生95歳。
毎月だが、一度も休んだ事はない。最盛時は2000人。平均1500人。何もかも先生ただ一人の手作業であった。総数500×1500=75万。満願を遥かに超えた。

これこそ「念ずれば花🌸ひらく」の大きな証しである。
「継続は力なり」などという、生易しいものではない」。
30年歴史になり、40年神の如しである。  

私の机上の守り葉書「男は何かに命を賭けろ!私は詩国賦算に賭けています。」(別添付)天国の先生の魂が、ビンビン伝わって来る。今最後の命を賭けることに「拝霊命」と共に、取り組もうとしている。最後のご奉公となるだろう。